Clear and Present Danger
麻酔シミュレーションとクライシス・マネジメント                Kenichi Tanaka, M.D.

Contents

1. はじめに

2. Crisis Management

3.アメリカ=Protocol

4. 医療シミュレーション

5. まとめ


1. はじめに

いまや、世の中はシミュレーション花盛りである。
コンピューター技術の発達とともに、様々な自然現象、
災害、事故、生体活動などをシミュレート(Simulate)
可能である。
たとえば、最近流行したタマゴッチなども、単純では
あるが、ペットのシミュレーションである。もっと
高度なレベルになると慶応大学藤沢キャンパスなどが
発表した細胞シミュレーションなどがある。これは、
電子化細胞プロジェクト(E-Cell)とよばれるもので、
近年同定されたバクテリア等のDNA情報を参考にして遺伝子
機能の一つ一つをモデル化したものである。
冨田 勝 教授らのグループは、地球上に知られる生物の
うちでもっとも遺伝子の少ない「マイコプラズマ菌」を選んだ。
彼らのグループは、アメリカ・タイガー研究所によって、
1995年に解明されたマイコプラズマの全DNA500個のうち、
生命維持に必要な127個をモデル化した。
1998年2月現在、酵母菌、シアノバクテリアなど12種の
生物の全DNA情報が読みとられ、国際データベース化されている。
2004年には、ヒトの全遺伝子情報が読みとられる見通しである
という。遺伝子治療、クローニングなど、次々と新しい医療
技術が登場している現在、臨床治験に至る前に、遺伝子・細胞
の活動がシミュレーションできれば治療を受ける患者の「安全」
を飛躍的に高められるだろうし、臓器の細胞活動をシミュレー
ションすることにより、血液や主要臓器の代替技術(人工臓器、
クローニングなど)も進歩する可能性が高い。
 
2. Crisis Management クライシス・マネジメント

麻酔シミュレーターで学ぶことのできるクライシス・マネジメントとは
何か?
それは、Tom Clancyの小説のタイトルを借りれば、「いまそこにある
危機」Clear and Present Dangerに対処する方法である。
麻酔・集中治療領域において、この習得はどのように行われて
きたかというと、個々の医師の経験と学習によってである。
これがどのような意味を持つかは、明らかである。経験の浅い医師が、
全く予備知識のない状態で、困難な状況にある患者に対処した場合、
ベテラン医師に比べると、危機にある患者の予後(Outcome)は悪くなる
可能性が高い。経験を積むには、何千という症例を経験し、さらに
そのうち何パーセントかの危機に遭遇するほかはない。先輩医師の困難
症例への対処を、症例検討会(Mortality and Morbidity conference)
などで見聞することも必要である。

しかし、これらの方法によって、非常時に知識を即座に活用して適切な
処置を行えるレベルまでの能力を身につけるのはかなり困難である。
各人の学習レベル、習慣、性格、医局の伝統・作法など、一般化しにくい
因子が多くからんでいる。

レジデンシーでは、比較的容易な症例から研修をはじめ、次第に、
大血管、心臓、移植手術などのハイリスク症例の麻酔を担当するようになる。
しかしながら、危機的状況というものは必ずしもハイリスク症例について
くるというわけではない。むしろ、その場合は事前に準備をしているため、
対処がよりスムーズであることが多い。
小さなミスは、しばしば起こり、そして見逃される。しかし、患者の予備
機能量(生命力?)などにより通常、カタストロフィーは回避される。
実際に、私が遭遇した危機的状況を考えてみると、Regional anesthesia
施行後のTotal spinal anesthesiaや、整形外科手術時のFat embolismなど、平穏な
状況下で突然おそって来るものが多い。

このような状況への対処を学ぶのが、症例検討会(Morbidity and Mortality
Conference)である。しかしながら、現実は頭ではわかっていても体がすぐに
ついてくるとは限らない。
危機に直面すると、心理的に動揺する。わかっているのにスムーズに指示が
出せなかったり、問題の一部に固執してしまい、全体像を見失うことになり
かねない。
経験がないと、どうしても対処法を身を持って学ぶのが難しいのである。

3.アメリカ=プロトコール=金太郎飴?

アメリカでは、何でもマニュアル化(プロトコール化)する国である。
訴訟が多いこともあってか、産業、医療など分野で、製造様式や治療方法を
一般化し、決まった手順(プロトコール)で行うことを好む。患者から
訴訟を受けた場合、標準とされるプロトコールに従っていたかどうかは、
重要な鍵となる。
アメリカの商業にも、プロトコール化は著しい。
ショッピングにしても、アメリカ中どこでもモールがあり、同じような店、
ファストフード、書店などが揃っている。ある人に言わせると、「どこを
切っても同じ、金太郎飴のような国」である。

内科を例にしてみれば、文献(理想をいえば、Randomised Controlled Study
=RCT)により有効性の証明された治療・薬物を使用するということが浸透
している。最近では、Evidence-Based Medicine(=EBM)という言葉がよく
使われるが、アメリカのどこへ行っても、ワシントン・マニュアル(内科の
人気マニュアル)通りの治療が行われているということである。
もう一つの例として、蘇生術がある。医学知識の少ない一般人にも、
基本蘇生術(BLS/ACLS=basic life support/adult cardiac life support)を教え、尊い
人命を救うのに役立てようという、非常にプラクティカルなアメリカ
らしい考え方である。日本では、救急救命士に挿管を許すか、許さないか
で議論しているという寂しい状況であるが、アメリカのEmergency
Medical Service(=EMS)は、必要時には、挿管・気管切開・気胸脱気・中心
静脈確保など、侵襲手技を行っていることは、日本でも放映中のER(Emergency
Room)でもおなじみであろう。

麻酔レジデンシーを始める前には、BLS, ACLS, PALS(pediatric),
NALS(neonatal)が必修であり、麻酔科二年目までにはATLS(trauma life support)
を研修する。たとえば、ACLSの中の心室細動(Ventricular fibrillation)の処置を
例にしよう。
講義では、まず200JのCardioversionを与え、そして次に...といった説明
を受けるが、これをしっかり頭の中に焼き付けるためにもっと簡単な方法
を教授される。それは、次のようなものである。

Shock-shock-shock-epi-shock-lido-shock-epi-shock-...

これを呪文のように、リズミカルに唱えさせられる。
そして、実際にマネキンを使いながら、テスト委員の前で
提示される症例(Asystole, V Fib等)に対する処置をおこなう
基礎的な救命術は、反射的に施行できることが大切である。

4. 医療シミュレーション

Military(軍事)、 Aviation(航空)、 Nuclear Plants(原子炉)
など災害の起こりうる職業では、定期的に非常事態のシミュ
レーションをおこなっている。これは、非常措置をプロトコール化
して、即座に対応できるようにするためである。
この概念が、医療事故の発生しやすい麻酔・集中治療分野に持ち
込まれ、医療シミュレーターが誕生した。

医療シミュレーターの研修で試されるのは、臨床知識・手技の
レベルだけではない。困難下での状況処理、チームワーク、
コミュニケーションは重要な鍵となる。

クライシス・マネジメントの代表的教科書であるDr. David M. Gaba
の著書、Crisis Management in Anesthesiology Churchill-Livingstone 1994
の中でも、Good Communication Makes a Good Team (pp40-41) は重点的に
扱われている。幾つかのポイントを挙げつつ、自分の経験を含めて解説する。

A. State your commands or requests as clearly and as precisely as possible

簡潔、明瞭な指示を出す!
エピネフリンを投与するのであれば、量・ルートなどを速やかに指示する
(B,Cも参照)。

B. Avoid making statements into thin air

混乱状況になると、「誰か、エピネフリン静注して!」などと
叫ぶのを聞くが、これは非常に効率の悪い指示方法である。危機に
直面している人間の情として、「何かしたいが、どうしていいのか
わからない」場合が多くある。特に、経験の浅い医師・看護婦など
はそうである。その場合、誰に対して、指示を出しているのかを
はっきりさせる(宙に向かって、指示をしない)ことで相手に
「仕事」を与え、行動を促すのである(Distribute the work load)

これは、例えば、次のようである。

「Bさん、エピネフリンを1mg静注してください。」

麻酔医としては、蘇生を行う可能性の高い場所として、オペ室内の人たち
の名前を覚えるのは重要である。しかし、アメリカで研修している日本人
の我々にとって、日々の業務と英語会話に慣れないうちは、そうもいかない。
そのうえ、太郎・花子から、いきなりポールやメアリーといった名前を覚
えるのは、自分の経験からいくと難しいかった。オペ室に入るときは、
余った紙を持っていき、その隅に、オペ室内の人々のファーストネームを
書いておくとよい。特に、外回りナース(circulating nurse)は、患者が
入室した時に、かならず自分の名前を述べてから、患者のに名前、手術内容、
アレルギーに確認する。その時にナースのファーストネームを確認しておくと、
患者の尿を入れる空き瓶をもらったりする時にも、声をかけやすい。誰でも、
自分の名前を覚えてもらうのはうれしいです(特にアメリカ人は!)から、
聞き取れなかったり、忘れたりしても臆せず、What is your first name?と聞き返そう。

C. Close the communication loop

パイロットは、管制塔のクリアランスに従って、離陸を開始する。
Closed loopを基本とした命令伝達が重要である。管制塔の命令"Cleared for take-off"
Read backして、指令伝達が完結(closed communication loop)したことを示すこと
が義務付けられている。
これを蘇生術中にあてはめると次のようになる。

A:「Bさん、エピネフリンを1mg静注してください。」
B:「Aさん、エピネフリン1mg静注しました。」

Bさんの応答により、指示系統が完結する。これによって、命令の反復や薬剤の
誤投与などを防ぎ、蘇生術の効率を高められる。

D. Take command as Team Leader

危機に直面している人間の情として、情報伝達は錯乱する。
いろいろな人が、十人十色の意見を出したら、蘇生の効率は低下する。
クライシス・マネジメントにおいては、指揮官Team Leaderが必要である。

Emergency RoomにおけるTrauma Resuscitationでは、チームリーダー
(外科のチーフレベル)以外は、基本的に、リーダーとの命令の応答以外
の発言はしない。オペ室では、手術中にラジオ・CDなどが高音でかかって
いることもあり、このような雑音を制限することも重要である。
チームリーダーは、情報伝達か混乱していると思われたら、多少は声を
あらげるとしても、その状況をコントロールしなければならない。

例:「私が指示を出しますから、必要な応答以外はしないでださい」

病棟での蘇生術中には、フロアインターン、レジデント、呼吸管理士、
ナース、クリティカルケア・フェロウ、麻酔医、記録係りなどが入り乱れる。
誰かが指揮をとることはもちろんであるが、正しい意見・提言をするのは、
リーダーに限らない。呼吸管理士、ナースが、よいサジェスチョンをする
ことはよくある(Concentrate on what is right for the patient, rather than who is right)

したがって、リーダーは、「意見の交換を行う」Foster an atomosphere of open
exchange のと、「情報伝達の効率」とのバランスを取りながら、状況を
コントロールする。

危機管理を指揮する重要なポイントは、「木を見て、森を見ず」という状態に
陥らないことである。
Emergency Room (ER) Trauma Surgery Attendingは部屋の外から、チームを監視する。
これは、自分が無駄なX線を浴びないようにする(?)という健康上の理由の
ほかに、遠くから眺めることにより、外傷患者の処置の全体像を把握しやすく
しているのである。一歩離れることで、できる限りの人員を効率的に指示監督
できる。

忘れやすいが、危機状況下の経過記録(チャート)は、後日の症例検討会は
もちろん、医事・法律問題になった際にも重要である。アメリカでは、ナース
の一人が記録専門となり、薬剤投与、時間などをチャートする。
 
5. まとめ

日本でも、浜松医科大、女子医大、慶応大学などをはじめ、臨床指導に取り入れられている医療シミュレーターですが、その 
最適な活用・指導・評価法については、 
アメリカにおいてもまだ検討中の段階 
です。 
麻酔医師としては、日頃経験する可能性の少ない危険症例(Malignant Hyperthermia, 
Airway Fire, Amniotic Embolismなど)をシミュレーションで経験し、臨床知識を体ごと 
試すというPrimaryな目的の他に、 
Crisis Management Leadershipという 
Globalな目的達成の訓練として活用すべきでしょう。

留学先の大学にシミュレーターがある 
ところも多いでしょうから、基礎研究を 
されている方でも、訓練セッション・ 
ティーチングを見学するとよいと思います。最近のアメリカの臨床Meetingなどでは、ワークショップとしてシミュレーターをとりいれているものも多いですから、 
会員の先生方には、危機状況下の効果的 
コミュニケーション法を重点として、一度体験されることをおすすめします。

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