Crawford W. Longという御仁をご存じでしょうか。
彼は、1830年代の後半にペンシルバニア大学で医学を学んだ外科医です。
その当時、エーテル(Ether)はパーティーなどで遊び興じるために使われて
いたようです。
エーテルに酔いしれる友人が、いすから転げ落ちても痛がらないのを観察した
Longは、一般開業医としてジョージア州に居を移した後の1842年3月30日、
James M. Venableという青年の首の小さなCyst切除の際にエーテルを使用し、
鎮痛効果を得ました。1846年10月16日に、W.G. Mortonがボストンで公開した
エーテル麻酔に先駆けてはいたものの、田舎医師であったLongは論文発表しな
かったため、その功績は一般には認められていません。
しかしながら、患者の痛みを取り除く努力をした南部の医師として、いまでも
アトランタのダウンタウンにあるクロウフォード・ロング病院(以下CLH)病院に
その名前を残しているのです(写真)。
さて、クロウフォード・ロング病院(以下CLH)はエモリー大学の付属病院であり、
フェロウ・レジデントが研修のためローテートします。
年間の心臓手術件数は1200例を越えており、エモリー大学病院よりも忙しいほど
です。
ピッツバーグでのレジデント終了後、心臓麻酔フェロウのため、アトランタに
やってきた私は、臨床ローテートと食道エコー研修の一部をここで行いました。
アメリカの心臓麻酔法の最近の傾向としては、Fast-Tracking(早期抜管・回復)
によるコスト削減ということが述べられます。つまり、手術中に明らかに術後
管理が困難であるという証拠(Evidence =たとえば明らかな心不全等)がない限り
は、すべて早期回復を目指した循環・麻酔管理が行われます。心疾患患者の麻酔
導入法としては、ほとんどの症例において、Thiopental,Pancuronium,Fentanyl
が用いられ、そして麻酔維持には積極的な吸入麻酔薬(Isoflurane)が使用されま
す。術後は、循環不全・合併症がなければ2-3時間後に抜管されるのが日常的です。
もう一つ、心臓領域における最近の進歩として、心臓エコーの積極的使用という
ことが挙げられます。基本的にCLHでは、保険適応のある場合(非常に悪い心機能、
心房・心室血栓、弁置換術等)にエコーを使用します。例えば麻酔科医が、麻酔
導入後、弁置換術前(主に僧坊弁置換)に弁の解剖学的・機能的評価を行い、手術
適応の再評価(修復(Repair)または置換を決定)をし、術式決定を左右することは
しばしばあります。
さらに、開胸後に術野から大血管(Epivascular=上行・弓部大動脈)エコーを行い、
送血カニューラ予定部位およびクランプ部位の粥状動脈硬化の程度を評価し、
その結果しだいで通常のバイパス法から、大腿バイパス(Femoral bypass)、MID-
CABや低体温循環停止(Circulatory arrest)などに手術法が変更し、動脈硬化部位
の操作を避けて脳塞栓予防をすることもあります。
ミルリノン(Milrinone)の登場で、バルーン・パンプなしでも循環管理が容易に
なりましたが、脳保護に関しては今後の課題とも言えます。術中大血管エコーは
脳保護の一助となります。
心臓手術の輸血・凝固管理に対しても、いくつかの新しいトピックがあります。
CLHでは、術前ヘマトクリットが45%以上の患者には、積極的に1-2パックの自己血
採取(Isovolumic hemodilution)を行い、赤血球保護をします。
アプロチニン(Trasylol)の使用は、Re-operationの患者に対する血小板保護・
線溶系抑制としてルーチーンの治療法となっています。
さらに、recombinant anti-thrombin III(rATIII)が登場し、FFPの代替として、
ヘパリン抵抗性のある患者に対して投与され、治療効果がみられるようになって
きています(現在、無作為臨床試験中)。
さまざまな新しい術式、薬剤を迅速に臨床評価し、患者の予後改善に役立てようと
いう姿勢が、アメリカ医療の醍醐味であると言えます。留学医学試験の難化、
医療制度・移民制度改革などにより、臨床留学が困難になってきている昨今では
ありますが、多くの若い諸先生方に、米国医療を体験し、その合理性と欠点を学び、
日本の麻酔学・医療の発展のために役立てていただきたいと思います。
参考:
エモリー大学麻酔科・心臓麻酔部門は、毎年9月に食道エコーおよびバイパス
に関するレクチャーコースを主催しています。1998年度は、第3回 Intraoperative
Echocardiography in the 90'sおよび第8回 Cardiopulmonary Bypass in
the 90'sと題され、9月10-13日にわたりアトランタのハイアット・ホテルにて
開催されました。
特別ゲストにテキサスから心臓外科のDenton A. Cooley, M.D.を迎えて、Echo
Course 1日半、Bypass Courseが2日間の盛りだくさんのコースでした。